日本100名城 No.22:八王子城


※夜行寝台さんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1582年(天正10年)以降?
- 別名:無
- 構造:山城
- 築城者:北条氏照 [Hojō-Ujiteru]
- 主な城主:小田原北条氏
- 所在地:東京都八王子市元八王子町・下恩方町・西寺方町
- 管理団体公式ページ:八王子市
概要
八王子城は、北条氏の本城である小田原城の支城として北条氏照(北条氏康の三男)によって築かれました。
小田原北条氏の支城としては最大規模の山城で、地理的にも甲斐国(山梨県)に接した最重要拠点であったことが伺えます。
氏照は築城にあたって、従来の中世山城と異なる石垣造りの技術を導入し、最新の戦術に適応した城造りを進めました。これは当時斬新だった織田信長の安土城をお手本にしたと言われています。
本丸・御主殿などの主郭部分は完成していましたが、完成を待たずして1590年(天正18年)、豊臣秀吉による天下統一事業の総仕上げとなる「小田原征伐」が始まります。

この時氏照は主要な家臣を引き連れて小田原城に駆けつけていたため、城代以下、女子を含む3千の兵が抵抗するも、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの部隊1万5千の猛攻に遭い、衆寡敵せず落城しました。
こうして八王子城攻防戦を含む小田原征伐において北条氏は敗北を喫し、戦後処理として氏照は兄・氏政とともに切腹。当主・氏直は高野山に配流となり、早雲以来5代続いた戦国大名家としての北条氏は滅亡しました。
旧領関東一帯が徳川家康に与えられると、本拠も小田原から江戸に移され、八王子城は廃城となりました。
未完の状態で籠城戦を強いられ、自刃、討死した氏照の家臣たち。
夫人以下、婦女子たちは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと伝わっている。。
この地では、こうした悲哀のエピソードに起因して、先祖の供養にあずきの汁で「あかまんま(赤飯)」を炊く風習が現在も残っているらしい。




交通
JR中央本線「高尾」駅北口から西東京バス「霊園正門経由」で約5分「霊園前・八王子城入口」下車、徒歩約20分。土日祝日のみ「八王子城跡行き」で「八王子城跡」下車すぐ。

周辺の気になるリスト
- 元祖敏々亭 びんびん (ラーメン)
- キッチン ロッコ (イタリアンカフェ)
- Jazz Bar&cafe ROMAN (バー)
- 爺々婆々の手料理 山の神 (郷土料理・居酒屋)
※2020/11/21 更新
