日本100名城 No.8:仙台城


※NR1000さんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1600年(慶長5年)
- 別名:青葉城 [Aoba-jō]
- 構造:山城 → 平山城
- 築城者:伊達政宗 [Date-Masamune]
- 主な城主:伊達氏
- 所在地:宮城県仙台市青葉区川内
- 管理団体公式ページ:仙台市
概要
伊達家62万石の居城。関ヶ原の戦い後、徳川家康に築城許可を得た伊達政宗は、青葉山山頂に位置する、廃城となっていた千代城に新城を築き、この地を仙臺(せんだい)と改めました。
政宗時代の仙台城は青葉山という天然の要害を活用した本丸と西の丸で構成された山城でした。
徳川幕府に対する遠慮から、当初は5層を計画していたと言われる天守こそ建てられなかったものの、本丸は当時の最先端技術である切り込みハギの高石垣が積まれました。
塁上には艮(うしとら)櫓をはじめとした4基の3重櫓のほか、清水寺本堂の舞台を彷彿させる懸造(かけづくり)は城下を一望でき、本丸内部には千畳敷と言われる桃山様式の巨大な大広間を構えた仙台城は、まさに奥州の大大名に相応しい城となりました。

なお、この時期に日本中を探索したスペイン人の探検家セバスチャン・ビスカイノは「日本で最も優れた城の一つ」と賞賛しています。
2代藩主・忠宗の代以降は山下に二の丸や三の丸が造営、政務の中心も本丸から二の丸に移され、以後幕末に至りました。
徳川幕府も盤石となった平和な江戸時代に、山麓と山頂(本丸)の往来は不便と見なされたためと言われています。
因みに、政宗は臨終の際に「この城は泰平の世には向かん。わしが死んだら修築しろ」と家臣や忠宗に遺言したという逸話があるらしい。
確かに、慶長年間に築かれた城にしては、青葉山の部分の山城だったことを想像すると、ビジュアルは政宗らしい派手さはあるものの、前近代的かつ実戦向けに造られていたことだろう。
大手門、脇櫓、巽門が旧国宝として残っていましたが、大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)、米軍の空襲により焼失してしまいました。
1967年(昭和42年)に脇櫓が再建され、政宗の騎馬像とともに仙台市のシンボルとして親しまれています。




交通
JR東北本線・東北新幹線「仙台」駅下車。西口バスプール16番より観光シティバス「るーぶる仙台」で約20分「仙台城跡」下車、徒歩3分。
地下鉄「仙台」駅より東西線で約5分「国際センター」駅下車、徒歩約25分。

城下町の気になるリスト
※2020/11/21 更新
