【お城】姫路城 -Himeji castle-

日本100名城 No.59:姫路城

天気微妙やった(´・ω・`)最後は姫路駅で撮った模型。
※2017年11月17日撮影

率直に言うと、「お城界」における姫路城って松本城と双璧を成すアイドルグループのセンターにいるような存在。

個人的には、城郭や歴史に関心のない層をも魅了する城であるほど、何故か距離を置きたくなる傾向にあったんだけど・・・、

実際訪れてみると、やっぱり僕もミーハー(死語とは言わせない)な城好きだった。見物に夢中になったせいか、思いのほか写真撮ってなかったね。

基本データ

  • 築城年代:1580年(天正8年)、1601年(慶長6年)
  • 別名:白鷺城 [Shirasagi-jō, Hakuro-jō]
  • 構造:平山城
  • 築城者:羽柴秀吉 [Hashiba-Hideyoshi]、池田輝政 [Ikeda-Terumasa]
  • 主な城主:羽柴(豊臣)氏 → 池田氏 → 本多氏 → 松平(奥平)氏 → 松平(結城)氏 → 榊原氏 → 酒井氏
  • 所在地:兵庫県姫路市本町68
  • 管理団体公式サイト:世界文化遺産・国宝 姫路城 便覧

概要

姫路城の起源は播磨国守護・赤松氏南北朝時代に遡り、現在の本丸にあたる姫山に小城を築いたのが始まりとされ、程なくして赤松氏庶流にあたる小寺氏が城代に置かれました。

その後、嘉吉の乱を経て赤松氏の勢力が弱体化すると、一時、山名氏が領有しますが、応仁の乱による戦況の中、再び赤松氏が城を奪回。再び小寺氏が入城し、戦国時代を迎えました。

主家の赤松氏が衰退する中、安土桃山時代に入ると東に織田信長、西に毛利輝元という二大勢力と対峙することになり、最終的に毛利氏に寝返った小寺氏は織田方の軍勢に領国を追われ、羽柴秀吉が黒田氏より姫路城を預かり、城代を務めました。

池田輝政入封前の姫路城について詳しい情報は不明ですが、秀吉の時代には石垣造りの大城郭で3層の天守が建っていたと言われており、豊臣政権下において城主はその後、羽柴秀長、木下家定と代わりました。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの功により三河国吉田15万石から播磨一国52万石の加増を受け、姫路城に入りました。

輝政は、山陽道の要衝に位置する姫路城を大規模な近世城郭に改修し、本丸には3基の小天守を連結した白亜の5層大天守をあげ、畿内の大坂城(豊臣氏)や西国一帯に睨みをきかせました。

池田氏は1617年(元和3年)に因幡国鳥取に転封となり、その後は本多氏、松平氏、榊原氏といった徳川譜代の大名家が目まぐるしく入れ替わり、明治維新に至りました。

姫路城は、明治の廃城令や大東亜戦争の空襲による被害を免れ、奇跡的にも多くの建造物を遺しており、1993年(平成5年)には世界遺産に認定され、日本の城を象徴する建造物として国内外問わず多くの人々に親しまれています。


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交通

JR山陽本線・山陽新幹線「姫路」駅、山陽電鉄「山陽姫路」駅から徒歩約20分、バス5分

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城下町のおいしかったリスト

  • えきそば(うどんでもそばでもラーメンでもない、姫路市民のソウルフード。これ食べて麺とスープがミスマッチとかいう輩は姫路の味とは縁がなかったと思ってくださいw)
    まねき食品株式会社:1949年(昭和24年)誕生の「えきそば」
  • あなご(炭焼、丼物、刺身・・・、姫路はやたら穴子推しの街だった。大ぶりの天ぷらが◎)
  • ひねポン・・・(播州の酒のアテの代表格じゃないでしょうか。年老いて卵を産まなくなった”ひね鶏”を炙ってポン酢で和えたもの。こりこりと噛み応えがあってさっぱりした味わい)

姫路おでんは生姜醤油で食べるからこそ姫路おでんなのだよ(`・ω・´)



それでは!

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※2020/11/23 更新

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