続日本100名城 No.182:水城


※2019年4月29日撮影
基本データ
- 築城年代:664年(天智天皇3年)
- 別名:無
- 構造:古代防塁
- 築城者:大和朝廷
- 主な城主:不明
- 所在地:福岡県太宰府市水城1(東門付近)、福岡県大野城市下大利(土塁断面ひろば)ほか
- 管理団体公式サイト:太宰府市文化財情報
概要
水城は、日本書紀によると「筑紫に大堤を築き水を貯(たくわ)へ、名づけて水城(みずき)と曰(い)う」とあり、664年(天智天皇3年)に筑紫国に築かれた防衛施設です。
これは、前年の白村江の戦いにおける敗戦を受け、倭国の国土防衛の強化が急務となっていた背景がありました。
大和朝廷は対馬、壱岐、筑紫といった国境最前線に防人(さきもり)や烽(とぶひ)という所謂「のろし台」を配置、さらに翌年には大野城、基肄城を築き、大宰府政庁の守りを固めました。
・【お城】大野城 -Ōno castle-
・【お城】基肄城 -Kii castle-
水城は、古代官道を南下し、大宰府政庁の手前あたりで福岡平野が最も狭くなる地点を南北に封鎖するように築かれ、水城を挟むように両翼から大野城、基肄城が大宰府政庁を取り囲む構造になっていたと言われています。
総延長約1.2km、高さ約10mの直線的な土塁と外濠(博多側)、内堀(太宰府側)で構成されており、土塁の端には東門と西門が設置されていました。

天智天皇と古代大和民族の国防意識の高さ・・・。
腑抜けな現代日本人は今こそ学ぶべきだと思うのよ。
交通
西鉄天神大牟田線「都府楼前」駅から徒歩約20分(東門)

JR鹿児島本線「水城」駅から徒歩約1分(土塁断面ひろば)

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※2020/11/23 更新