続日本100名城 No.181:小倉城


※2019年4月6日(上)、2019年1月12日(下)撮影
基本データ
- 築城年代:1602年(慶長7年)
- 別名:勝山城 [Katsuyama-jō]、湧金城 [Yūkin-jō]
- 構造:平城
- 築城者:細川忠興 [Hosokawa-Tadaoki]
- 主な城主:細川氏 → 小笠原氏
- 所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2-1
- 管理団体公式サイト:小倉城公式ホームページ
概要
小倉城の成り立ちは、1569年(永禄12年)に豊前の制圧を目指していた毛利氏によって、現在の本丸にあたる場所に築城されたのが始まりとされています。
しかし、一方で尼子残党による出雲国での挙兵もあり、毛利氏による支配期間は長続きせず、北九州の権益を豊後の大友氏に和睦交渉の末、譲ることとなります。
その後、大友氏家臣の高橋鑑種を経て、豊臣秀吉の直臣、毛利勝信が企救郡、田川郡の6万石(一説には10万石とも)を与えられて入城し、織豊系の城郭に改修しました。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの功により、丹後国宮津18万石の領主であった細川忠興が豊前39万石で中津城に入封しましたが、忠興は程なくして本城を小倉に定め、今日のこる小倉城に大改修しました。
1602年から7か年をかけて築かれた小倉城の最大の特徴として4層5階の層塔型天守が挙げられます。
下階より上階の平面が張り出した「唐造(からづくり)」や破風を持たない「四方白壁吹きおろし」という特異な外観は、讃岐高松城(香川県)、岩国城(山口県)、津山城(岡山県)、佐賀城(佐賀県)といった、多くの城に影響を与えました。
【お城】高松城 -Takamatsu castle-
【お城】佐賀城 -Saga castle-
細川氏の熊本移封後、城主は小笠原氏と代わり明治維新に至りました。
なお、天守は1837年(天保8年)に城内から発生した火災により本丸御殿などとともに焼失、以後再建されることはありませんでした。
明治期に入ると、陸軍管轄の司令部庁舎として城域は活用され、1959年(昭和34年)、市民の熱望により鉄筋コンクリート構造で天守が外観復興されました。
創建時とは異なる、千鳥破風や唐破風を用いた望楼型構造となっており、内部は資料館となっています。
小倉城天守の本来の外観を知った時、「何で破風とか付けたんや」って正直思いましたw
特にあの一層目にドカンとある大入母屋破風、あざといんだよなあ。。
これぞあるべき姿、唐造の「原点にして頂点」。


交通
JR日豊本線・鹿児島本線「小倉」駅から徒歩約20分または「西小倉」駅から徒歩約10分
城下町のおいしかったリスト
- 白頭山 駅前店/京町店(24時間営業の居酒屋。小倉駅から歩いて2分。ディープスポット好きな人にはたまらない空間)
- 糠蔵(城内の着見櫓にある、ぬか漬けの専門店。バラエティに富んだ品揃えで、地方発送もやってます)
- 四方平(「寿司とラーメン」といえばここ。昭和12年創業の老舗。)
「糠蔵」は運が良かったらデビル雅美さん(店長!)に会えますw
それでは!


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※2020/11/28 更新