続日本100名城 No.184:基肄城
※2019年5月2日撮影
この日は、同日中に久留米城に向かう予定があり、また基肄城も先年の豪雨被害の影響で立入禁止区域もあったので、深入りは控え、基山町民会館での展示物見学に留め、スタンプとパンフをいただきました。
基山町民会館の皆さん
お忙しい中、基肄城に関する貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました<(_ _)>
基本データ
- 築城年代:665年(天智天皇4年)
- 別名:椽城 [Ki-jō]、基肄城(きいのき) [Kii-no-ki]
- 構造:百済式山城
- 築城者:大和朝廷 [Yamato Imperial Court]、憶礼福留 [Okurai-Fukuru]、四比福夫 [Shihi-Fukubu]
- 主な城主:不明
- 所在地:佐賀県三養基郡基山町大字小倉 ほか
- 管理団体公式サイト:基山町
概要
基肄城は、7世紀に築かれたとされる古代日本の城です。
倭国(日本)・百済遺民勢力連合軍と唐・新羅連合軍の間で行われた「白村江(はくすきのえ)の戦い」において歴史的大敗北を喫した倭国は、前年に築城した水城(みずき)に続き国土防衛線を強化するべく、大野城とともに大宰府政庁(九州の政治拠点)の外郭とした、外周約3.9kmに及ぶ城壁を築き上げました。
・【お城】水城 -Mizuki-
・【お城】大野城 -Ōno castle-
「日本書紀」によると築城には、憶礼福留(おくらい・ふくる)、四比福夫(しひ・ふくぶ)といった旧百済王朝の兵法家がアドバイザーとして名を連ねており、大野城同様に百済の築城技術を世に伝えています。

城壁の大部分は土塁でしたが、水門や礎石といった石塁も残っており、古代日本の高度な土木技術を伺わせます。
大陸の超大国・唐の侵攻という未曾有の危機に備えた、大規模かつ最新鋭の技術を駆使した築城であったものの、大和朝廷による友好的な外交政策もあり、基肄城が戦場となることはありませんでした。




交通
JR鹿児島本線「基山」駅から徒歩約1時間

周辺の気になったリスト
- TEA+(ティープラス)(基山産のおいしい緑茶が飲めるらしい。登城前・登城後の休憩に良さそう)
- Wスパイス(テイクアウトもやってるカレー専門店。毎日限定10食の基山スープカレーも魅力的だけど、カツカレーが気になる。。)
基山駅周辺で他にもおすすめのお店あったらぜひ教えてくだされ。
※丸幸ラーメンセンターがうまいのはわかってるのでそれ以外で(笑)
それでは!

お薦め書籍
※2020/11/23 更新