【お城】岡山城 -Okayama castle-

日本100名城 No.70:岡山城

岡山城復元天守
※2019年9月14日撮影

基本データ

  • 築城年代:1521~27年(大永年間)、1570年(元亀元年)、1597年(慶長2年)
  • 別名:烏城 [U-jō]、金烏城 [Kin-u-jō]
  • 構造:平山城
  • 築城者:宇喜多直家 [Ukita-Naoie]、宇喜多秀家 [Ukita-Hideie]
  • 主な城主:金光氏 → 宇喜多氏 → 小早川氏 → 池田氏
  • 所在地:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
  • 管理団体公式サイト:岡山城

概要

古くは石山城と呼ばれ、南北朝時代からこの地に城があったことが確認されています。

その後、備前国で勢力を伸ばし始めた宇喜多直家が旧城主・金光氏を滅ぼし、石山城を接収。
以後、戦国大名として頭角を現す宇喜多氏の本拠地・岡山城として改修され、城下町が栄えました。

直家の死後、遺児・秀家は岡山城を引き継ぎ、豊臣政権下において一門衆と同格の扱いを受けるほどに寵愛を受け、岡山城も57万石の大大名の地位に相応しい、高石垣を多用した大規模な近世城郭へと改修されました。今日残る岡山城は、秀家の治世において概ね完成されています。

特に4層5重の天守は、黒漆を塗った下見板張りの外壁や金箔瓦を使用しており、こうした特徴は織田信長の安土城(滋賀県)や秀吉の大坂城(大阪府)、あるいは豊臣一門の城にしか見られません。
また、天守の外観は安土城天守を模しているとも言われ、豊臣政権下における秀家のステータスの高さを感じさせます。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、秀家は西軍の主力部隊として激戦を繰り広げるも、敗れて八丈島に流刑となり、宇喜多氏は所領没収となりました。

宇喜多氏に代わり、小早川秀秋が備前・美作52万石を与えられ、城の拡充に努めましたが2年後に亡くなり、嗣子なく断絶。代わって池田輝政の次男・忠継が入城、以後池田氏31万5千石の居城として明治維新に至りました。

天守は明治時代の破却も免れ、旧国宝に指定されていましたが1945年(昭和20年)の空襲で惜しくも焼失しました。

現在の天守は1966年(昭和41年)、鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、内部は資料館の他、飲食店、土産物店が入っています。


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交通

JR山陽本線・山陽新幹線「岡山」駅下車
└ 路面電車「東山行き」で約5分 → 「城下」下車 → 徒歩で約10分
└ 岡電バス「岡電高屋行き」・両備バス「東山経由西大寺行き」で約15分 → 「県庁前」下車 → 徒歩で約10分

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※2020/11/23 更新

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