続日本100名城 No.191:中津城

基本データ
- 築城年代:1588年(天正16年)
- 別名:扇城 [Sen-jō]、丸山城 [Maruyama-jō]、人家城 [Jinka-jō]、小犬丸城 [Koinumaru-jō]
- 構造:平城、海城
- 築城者:黒田孝高 [Kuroda-Yoshitaka]
- 主な城主:黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏
- 所在地:大分県中津市二ノ丁本丸
- 管理団体公式サイト:http://www.nakatsujyo.jp/
概要
中津城は、羽柴秀吉による九州平定後の天正15年(1587年)、豊前12万石を与えられた黒田孝高(官兵衛)が山国川河口のデルタ地帯に翌年着工しました。
ところが、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが勃発。徳川方に与した黒田孝高・長政親子は城の完成を待たずして戦後の論功行賞として筑前名島城(のちに福岡城を築城)52万石に加増転封となり、代わって細川忠興が39万石で入封しました。
細川氏は本城を小倉に置き、小倉城と並行して中津城の修築を進めました。
中津城の完成後、忠興は家督と小倉城を三男の忠利に譲り、中津城に隠居しました。
寛永9年(1632年)、細川氏の熊本54万石加増転封に伴い、代わって小笠原長次が8万石で入封。
中津藩が立藩しました。
享保2年(1717年)、小笠原氏の無嗣除封に伴い、代わって奥平昌成が10万石で入封。
以降、明治維新まで奥平家の居城となりました。
明治時代に建造物は撤去されましたが、昭和39年(1964年)、本丸上段の北東隅櫓台に旧藩主・奥平家の主導のもと、萩城天守を模した5重5階の模擬天守が新築され、天守内部は現在も「奥平家歴史資料館」として一般公開されています。


見どころ
- 「扇城」の別名にたがわぬ扇型の縄張り。
- 近世城郭としては九州最古とされる「野面積み」の石垣。
- 奥平家の貴重な資料や家宝が展示されている天守内部の資料館。
- 福沢諭吉ゆかりの城下町。
交通
JR日豊本線「中津」駅から徒歩約15分
城下町のおいしかったリスト
- 灯り家(レトロ家電にホーロー看板…。昭和の原風景と大分の地酒で、たまには時間を忘れてくつろいでみては?)
- 福澤茶屋(福澤記念館前に位置するレストラン。)
- チキンハウス(揚げたての中津から揚げ!熱い!けど美味い!)


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※2020/11/28 更新