日本100名城 No.45:岡崎城
東隅櫓(復元) 大手門(復元) 家康産湯の井戸 岡崎城再建天守
基本データ
- 築城年代:1455年(康正元年)頃、1590年(天正18年)
- 別名:竜城、龍城
- 構造:平山城
- 築城者:西郷頼嗣(稠頼)、田中吉政
- 主な城主:西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏(豊後守家)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(平八郎家)
- 所在地:〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561 岡崎公園内
- 管理団体公式サイト:岡崎公園(岡崎市観光協会公式サイト)
概要
岡崎城(おかざきじょう)は、三河国岡崎藩(現・愛知県岡崎市康生町)にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。
戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。また、『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年(享禄元年) – 1531年(享禄4年))以来の名號にして、其以前は菅生郷なり、」と記載されている。
1959年(昭和34年)に天守が復興された。
参考:岡崎城 – Wikipedia
岡崎城の起源は、三河国仁木氏の守護代であった西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)が龍頭山に平山城を構えたのが始まりで、当初は龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼ばれていました。
その後、この小高い丘に創建された城を徳川家康の祖父・松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪取し改築を行って本拠としたのが岡崎城となります。
家康はこの城で生まれ、長い人質生活を送ったのち独立し、天下を統一したことから「神君誕生の地」、すなわち徳川家の聖地として江戸時代は譜代大名の居城として重視されました。
天正末年に豊臣秀吉の家臣・田中吉政が近世城郭に改修し、1617年(元和3年)、本多康紀が藩主のときに3層3階地下1階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれ、現在残る岡崎城の原型を完成させました。

城主はその後、水野氏、松平氏、本多氏(忠勝系)と代わり、幕末に至りました。
1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となり、城内の天守以下の建物及び土地を払い下げとなりました。
建物は撤去され、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみとなりましたが、敷地は龍城神社、岡崎公園として整備され、1959年(昭和34年)には鉄筋コンクリート造で天守が復興されています。
岡崎城は、東海地方の城でも3番目に数えられる大規模な城と認識されていましたが、2007年(平成19年)に材木町でのマンション建設に伴う発掘調査によって新たに石垣が見つかり、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しています。

【早い者勝ち!】.com/.net/.jp ドメイン取るならお名前.com

交通
名鉄名古屋本線「東岡崎」駅から徒歩約15分

周辺の気になるグルメスポット
城北飯店
お食事処 休右衛門(岡崎カクキュー八丁村)
おふろ


ハイスピードプランの詳細はこちら
