【お城】小諸城 -Komoro castle-

【日本100名城】No.28 小諸城|城内へ進むほど低地へと下る断崖絶壁に面した穴城【日本の城】

日本100名城 No.28:小諸城

あけびさんによる写真ACからの写真

基本データ

  • 築城年代:1554年(天文23年)、1614〜15年(慶長末期)
  • 別名:酔月城、白鶴城、鍋蓋城、穴城
  • 構造:平山城(穴城)
  • 築城者:武田信玄、仙石秀久
  • 主な城主:武田氏、仙石氏、徳川氏、松平(久松)氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川氏、牧野氏
  • 所在地:〒384-0804 長野県小諸市丁311
  • 管理団体公式サイト:懐古園サイト/小諸市オフィシャルサイト

概要

小諸城(こもろじょう)は、 長野県小諸市(旧・信濃国佐久郡(のち北佐久郡)小諸)にある日本の城跡。別名、酔月城穴城白鶴城

参考:小諸城 – Wikipedia

小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まると伝えられています。

南北朝時代以降は衰退した小室氏に代わって大井氏が勃興すると、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城。さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城(白鶴城)を現在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えました。

1554年(天文23年)、武田信玄が領有して縄張を拡充し、今に残る城郭の基本形が完成しました。

豊臣政権成立後、5万石で入封した仙石秀久・忠政父子二代の治世に3層の天守のほか、大手門、三の門などが建造。近世城郭に改修されました。

1622年(元和8年)に仙石氏が上田城に転封されると、以後は松平氏、青山氏、酒井氏と代わり、元禄15年(1702年)に牧野康重が移封された後は国替えは行われず、牧野氏10代康済の時に明治を迎えました。

城は千曲川に向かって傾斜する深い浸食谷に突き出た台地を活用した天然の要害です。

このため、城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に低くなっており、 これが 「穴城(あなじろ)」とも呼ばれている理由で、これほど特異な城郭構造は他に例がありません。


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交通

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