続日本100名城 No.166:宇陀松山城
天守台 春日門跡
基本データ
- 築城年代:南北朝期(豊臣家配下の1585年〔天正13年〕以降に改修)
- 別名:秋山城、神楽岡城
- 構造:山城
- 築城者:秋山氏
- 主な城主:伊藤氏、加藤氏、羽田氏、多賀氏、福島氏
- 所在地:奈良県宇陀市大字陀春日・拾生・岩清水
- 管理団体公式サイト:宇陀市
概要
宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、大和国宇陀郡(現在の奈良県宇陀市)に存在した日本の城である。平成18年(2006年)に国の史跡に指定されている。別名は秋山城(あきやまじょう)や神楽岡城(かぐらおかじょう)。 城下町は重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も優美な町並みを残している。
参考:宇陀松山城 – Wikipedia
宇陀松山城は、南北朝期から戦国時代にかけて宇陀郡を治めていた国人・秋山氏の居城であった秋山城が前身と考えられています。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の弟・秀長が大和を支配する頃になると秋山城には豊臣氏直臣の大名が入り、1592年(文禄元年)に城主・多賀秀種により本格的な改修と城下町の整備が行われました。

関ヶ原の戦い後、宇陀郡を領した福島高晴(福島正則の弟)が入城し、さらに城の拡充を進め、松山城と改名し、今日残る近世城郭となりました。
しかし、1615年(慶長20年)6月25日に大坂夏の陣において豊臣氏に内通していた嫌疑(密かに兵糧を大坂城に入れていた説あり)をかけられて高晴は改易、城は破却されました。
城域の中央に総石垣造の天守郭(てんしゅぐるわ)と本丸が、その周囲を帯郭が取り囲み、3か所に複雑な構造の虎口を備えています。
外郭部が主郭部を同心円状に取り囲む、山城としては珍しい縄張を構成していたようです。

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交通
近鉄大阪線「榛原」駅より奈良交通バス「大宇陀」行で約20分「大宇陀」下車徒歩約20分

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