【お城】九戸城 -Kunohe castle-

続日本100名城 No.104:九戸城

九戸城の堀
Wikipedia(九戸城)からの写真

基本データ

  • 築城年代:1492〜1501年(明応年間)
  • 別名:福岡城、宮野城
  • 構造:平山城
  • 築城者:九戸氏
  • 主な城主:九戸氏、南部氏
  • 所在地:〒028-6101 岩手県二戸市福岡字城ノ内、松ノ丸
  • 管理団体公式サイト:中世終焉の地 九戸城

概要

九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている。

参考:九戸城 – Wikipedia

九戸城は明応年間(1492~1501年)の築城と推定されています。

戦国時代末期、九戸政実が城主の代には南部氏の中でも勢力を誇り、南部氏の後継争いでは南部信直と対立しました。

1591年(天正19年)に乱を起こしましたが(九戸政実の乱)、豊臣秀次を総大将とする奥羽再仕置軍によって乱は鎮圧、政実・実親兄弟以下首謀者は処刑、さらに女子供を含む九戸一族は斬殺され、九戸氏は滅亡しました。

乱後、城は蒲生氏郷が城と城下町を大改修して、南部信直が「福岡城」と改めて一時期居城としていましたが、1636年(寛永13年)に廃城となりました。

河岸段丘上に位置する本丸と二の丸は落城後に改修された近世城郭の曲輪で、直線的な塁線が特徴的です。

東方の石沢館(いしざわだて)と若狭館(わかさだて)は中世城郭的な曲線の塁線となっています。

なお、九戸城の二の丸跡からは、九戸政実の乱当時のものと思われる、斬首された女性の人骨などが発掘されており、九戸一族の悲劇を物語っています。


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交通

JR東北新幹線「二戸」駅よりJRバスまたは岩手県北バスで約5分「呑香稲荷神社前」下車徒歩5分

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