日本100名城 No.75:萩城
本丸石垣と指月山 萩城天守台
基本データ
- 築城年代:1604年(慶長9年)
- 別名:指月城
- 構造:平山城(平城かつ山城かつ海城でもある)
- 築城者:毛利輝元
- 主な城主:毛利氏
- 所在地:〒758-0057 山口県萩市堀内字旧城1-1
- 管理団体公式サイト:萩市観光協会公式サイト
概要
萩城は、毛利輝元が1604年(慶長9年)に築城を開始した城です。
関ヶ原の戦いで西軍の総大将として戦わずして敗れた輝元は、中国8ヵ国112万石から周防国・長門国の2ヶ国29万8千石に減封され、安芸広島城に代わる新たな本拠地として萩・山口・三田尻(山口県防府市)の3ヵ所を候補として幕府に裁可を求めた結果、萩が選ばれました。
輝元は、かつて石見国の国人・吉見氏の出城があったとされる日本海に突出した指月山山頂に本丸・二の丸で構成された要害(詰の丸)を、その麓に本丸・二の丸・三の丸が梯郭式に形成する広大な平城を築き、本丸には付櫓をもつ5層5階の望楼型天守を建て、1608年(慶長13年)に落成しました。
日本海に面した天然の要害である指月山山頂に要害(詰の丸)と麓の平城で構成されている萩城。厳密にはいわゆる小高い丘陵地全体にまたがるような平山城とは言えないかも知れない。
しまし、かつて輝元が祖父・元就から引き継いだ吉田郡山城(山城)から広島城(平城)に政庁を移して以降も、吉田郡山城は「詰の城」として機能していた形跡があるので、防御面では吉田郡山城・広島城を応用しているとも思えます。
実際、要害の規模は決して大きくないものの、総石垣の塁上に7基の櫓が立ち並んだことを考えると、毛利氏の築城理念として有事に備えての山城に対する思い入れは強かったのではないだろうか。
各所城門には枡形虎口がふんだんに取り入れられ、弱点である城の東側の防御を強化するため、 二の丸には長い土塀を連ねるなど、有事に備えた武備を伺わせます。

これは「石州瓦」という石見(島根県)地方で慶長期以降に発展した粘土瓦の製法で、焼成温度が1200℃以上と高いために、積雪による破損や雨漏り、あるいは潮風といった冷害や塩害に強く、現在も山口県はじめ中国地方の一戸建て家屋にはよく見られます。
建造物は明治時代初頭に解体されたため建物は残っていませんが、美しい「扇の勾配」の天守台をはじめ、三の丸や城下には武家屋敷も多く残されています。

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交通
JR山陰本線「東萩」駅から萩市内循環「まぁーるバス(西回り)」で「萩城跡・指月公園入口」下車、徒歩約4分

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