日本100名城 No.62:和歌山城
天守曲輪遠景 岡口門 西の丸庭園(紅葉渓庭園) 大天守(右)と小天守(左)
基本データ
- 築城年代:1585年(天正13年)、1600年(慶長3年)、1619年(元和5年)
- 別名:竹垣城、虎伏城
- 構造:平山城
- 築城者:羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣
- 主な城主:羽柴(豊臣)氏、桑山氏、浅野氏、徳川氏
- 所在地:〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁
- 管理団体公式サイト:史跡和歌山城
概要
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)である。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城跡は国の史跡に指定されている。
参考:和歌山城 – Wikipedia
1585年(天正13年)、紀伊を平定した羽柴秀吉に命じられ、当時「若山」と呼ばれたこの地に弟・秀長が築城を開始しました。
城は翌年完成し、「和歌山城」と名付けられ、秀長の城代・桑山重晴が3万石で入城しましたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦後に桑山氏は大和国に転封、代わって37万6千石で浅野幸長が入り、城は大拡張されました。
1619年(元和5年)、浅野氏は安芸広島城42万石に加増転封となり、代わって徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入城し、徳川家康の十男・頼宣が入封。ここに御三家の一つで後に吉宗(8代)、家茂(14代)といった将軍を輩出する紀州徳川家が立藩することになりました。
頼宣は、兄の2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領し、城や城下町を拡張しましたが、あまりに大がかりな改修工事であったため、幕府に謀叛の嫌疑をかけられたといわれています。

詳しい時期は不明ですが、浅野氏~徳川頼宣の治世に下見板張り壁の5層天守があがっていたとされています。
この5層天守は1847年(弘化4年)に落雷で焼失し、程なくして再建されましたが、財政難と幕府に対する遠慮から3層に改められました。
天守は昭和期に入ってからも旧国宝に指定されて保存されていましたが、1945年(昭和20年)7月9日に米軍による空襲で焼失。現在の天守群は、1958年(昭和32年)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。
豊臣期、浅野期、徳川期の三期にわたって築かれた石垣は石の種類が異なり、工法も野面積み、打込接ぎ、切込接ぎへと変化して行く過程を残している点が見どころで、慶長~元和期の石垣加工法の発展がうかがえます。

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交通
JR紀勢本線「和歌山駅」・南海本線「和歌山市」駅から和歌山バスで約10分「公園前」下車、徒歩すぐ

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