日本100名城 No.31:新発田城
辰巳櫓(復元) 二の丸隅櫓(現存・国重要文化財) 天守代用の三階櫓(復元)
基本データ
- 築城年代:1598年(慶長3年)頃着手、1654年(承応3年)完成
- 別名:菖蒲城[あやめじょう]、舟形城、狐尾曳ノ城
- 構造:平城
- 築城者:溝口秀勝・宣勝・宣直
- 主な城主:溝口氏
- 所在地:〒957-0052 新潟県新発田市大手町6
- 管理団体公式サイト:しばた観光ガイド
概要
新発田城(しばたじょう)は、越後国蒲原郡新発田(現在の新潟県新発田市大手町)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。
参考:新発田城 – Wikipedia
新発田城は、加賀国大聖寺から入封した溝口秀勝とその子孫によって築かれた近世城郭ですが、もともとこの地には佐々木盛綱を祖とする北越後の国人・新発田氏の居館が置かれていました。
1581年(天正9年)、新発田重家は上杉景勝に対して反乱を起こしましたが、羽柴秀吉の支援を受けた景勝がこれを鎮圧、1587年(天正15年)に新発田氏は滅亡しました。
その後、上杉氏の会津転封に伴い、1597年(慶長2年)、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封しました。
秀勝は、領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を進めました。

今日残る新発田城となったのは1654年(承応3年)頃で、3代宣直(のぶなお)の時代といわれています。
新発田城はその後1668年(寛文8年)、1719年(享保4年)と相次ぐ火災に見舞われるも、その度に再建されています。
幕府に対する遠慮から、新発田城には天守はありませんでしたが、本丸の北西隅に三重櫓を建てて実質的な天守としての役割を担っていました。
この三重櫓は最上層の入母屋破風が「丁」の字状に三方を向き、それぞれに合計3尾の鯱を掲げる珍しい形状で、なぜこうした構造になっているのかは謎です。
外様大名として大っぴらに天守を建てづらい空気の中で、溝口家なりの意地の表れといったところですかねw
目地に隙間を作らない切り込みハギの石垣のほか、塩害や冬季の積雪対策として櫓の外壁に海鼠壁を採用するなど、江戸時代以降に発展した最新技術が散りばめられています。

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交通
JR羽越本線「新発田」駅から徒歩20分

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