【お城】多賀城 -Taga castle-

日本100名城 No.7:多賀城

多賀城政庁 正殿跡
Wikipedia(多賀城)からの写真

基本データ

  • 築城年代:724年(神亀元年)
  • 別名:―
  • 構造:平山城(城柵)
  • 築城者:大野東人
  • 主な城主:―
  • 所在地:〒985-0864 宮城県多賀城市市川字城前ほか
  • 管理団体公式サイト:多賀城市の文化財

概要

多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。

奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。なお、周辺はかつて「潟の世界」が想定されていたが、1,900~1,500yrBP.にはすでに潟湖的環境は存在せず、かつて「潟」が存在した証拠の一つと例示された砂押川最下流部の「塩入」「塩留」「塩窪」などの地名についても再検討されている。

参考:多賀城 – Wikipedia


多賀城は奈良・平安時代に大和朝廷が東北経営への拠点として陸匪の国府が置かれ、奈良時代には鎮守府(ちんじゅふ)も併せ置かれるなど、古代東北の政治・文化・軍事の中心地となった城柵です。

約900m四方に築地塀や材木塀がめぐり、中央に重要な政務や儀式をおこなう政庁がありました。

その周囲には行政実務を担う役所や兵舎、工房などが配置されていました。

平安時代になると城外に道路により区画された街並みが形成され、国司の邸宅などが発見されています。

多賀城の創建以降、広大な陸奥国は石背国(現在の福島県中通りと会津地方)・石城国(現在の福島県浜通りと宮城県亘理郡)・陸奥国の三国に分割される時期もありましたが、ほどなくして再合併されました。

大和朝廷と蝦夷豪族の騒乱で度々戦火にさらされた多賀城ですが、陸奥の国府(今でいう県庁のようなもの)としては引き続き機能し続け、南北朝時代まで城柵として残っていたようです。


【早い者勝ち!】.com/.net/.jp ドメイン取るならお名前.com

交通

JR東北本線「国府多賀城」駅から徒歩約15分

お城めぐりは総合旅行予約サイトの楽天トラベルへ

周辺の気になるグルメスポット

イタリア食堂アッラミア

和食の小島

味処くいしん坊


格安ドメイン名取得サービス『エックスドメイン』

書籍

コメントを残す