日本100名城 No.85:福岡城
伝潮見櫓 南二の丸北隅櫓・多聞櫓 祈念櫓 天守台石垣
基本データ
- 築城年代:1601年(慶長6年)
- 別名:舞鶴城
- 構造:平山城
- 築城者:黒田長政
- 主な城主:黒田氏
- 所在地:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内
- 管理団体公式サイト:国史跡 福岡城跡・鴻臚館跡
概要
福岡城は、関ヶ原の戦いの戦功により豊前中津12万石から一挙に筑前名島52万石3千石を拝領した黒田孝高(官兵衛)・長政親子が築いた城です。
筑前入封の際、いったん小早川秀秋の居城であった名島城を受領しましたが、旧領主の家柄ということもあり、水軍の本拠地としての側面が強い海城であったため、城域や城下町の拡張に限界を感じた長政は、博多の西・警固村福崎に新たな城を築くことになりました。
城は1601年(慶長6年)から7か年の歳月をかけて築かれ、この際に「福崎」という地名は黒田氏ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に因み「福岡」に改められました。
ここに那珂川を境として西の城下町「福岡」、東の商人町「博多」が形成されて行きました。
ちょっと話はそれますが…、黒田氏の筑前入封と城下町の開発が現在の「福岡市」の礎となったのは以上の経緯から言うまでもないが、奇しくもそれが現在まで至る呼称問題に繋がっているのだから歴史とは実に根深い(笑)

福崎の丘陵先端に本丸を築き、北・西・南の守りを東の二の丸、二の丸、南の二の丸が固めており、外側に三の丸を配置、これらを囲む水堀は幅50mを超えてたと伝わっています。
本丸と二の丸は高石垣の総石垣造り、三の丸は土塁造りで、もともと無かったとされていた天守の存在については、近年天守台下から瓦片の出土したことから議論がなされています。
しかし、塁上に大小47基の櫓が建ち並び、外郭を含めて80万平方メートルに及んだ大城郭は九州最大級の城域面積を誇っています。
さらに、虎口(城門)周辺を見渡すと様々な角度から攻撃を受けるような基本構造が施されており、築城の名手として知られる加藤清正ですら「自分の城は3日か4日で落ちるが、福岡城は30日、40日は落ちない」と感心した逸話も残っているほどです。
城内には現存櫓や移築された櫓・城門などが現存するほか、かつて「草ヶ江」と呼ばれた博多湾の入り江を埋め立て、城の南方に広大な外堀を形成していた「大堀」は「大濠公園」として整備されています。

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交通
市営地下鉄空港線「赤坂」駅または「大濠公園」駅から徒歩約5分

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