日本100名城 No.64:松江城
太鼓櫓、馬留、石垣 南櫓と千鳥橋 水堀と石垣 現存天守(国宝)
基本データ
- 築城年代:1607年(慶長12年)
- 別名:千鳥城
- 構造:平山城
- 築城者:堀尾吉晴(藩主は忠晴)
- 主な城主:堀尾氏、京極氏、松平氏
- 所在地:〒690-0887 島根県松江市殿町1-5
- 管理団体公式サイト:国宝 松江城ホームページ
概要
松江城は1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦の論功行賞で出雲・隠岐24万石に加増移封された堀尾吉晴が嫡子・忠氏とともに入封して築城した城です。
出雲入封当初、いったん月山富田城(かつて戦国大名尼子氏の本拠地であった)に入城しましたが、戦国期の山城で統治に不向きであるという判断から、城下町の形成や運送に有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近くで、末次城の跡地にあたる標高29メートルの亀田山に新城を築くことを決めました。
1607年(慶長12年)に築城を開始、1611年(慶長16年) 正月に城は完成しましたが、ほどなくして吉晴は死去、1633年(寛永10年) には跡を継いだ孫の忠晴も亡くなり、嗣子のいない堀尾氏は3代で改易となりました。
1634年(寛永11年) 、堀尾氏に代わって京極忠高が若狭国小浜藩(若狭・越前国敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封しました。

京極氏時代には三の丸が造営され、現在の松江城が完成させましたが、1637年(寛永14年)に忠高が嗣子なく没し、京極家宗家は一時断絶しました(後に他国で再興される)。
1638年(寛永15年)、京極氏に代わり信濃国松本藩より松平直政が出雲18万6千石で入封、以後明治維新まで松平氏の居城として明治維新に至りました。
なお、山陰地方に現存する唯一の天守は、2015年(平成27年)に国宝に指定されています。
天守は付櫓をもつ望楼型天守で、敵を欺くような石落(いしおとし)、総桐の階段、井戸を設置するなど、天守内部での戦闘を想定した防御策がとられています。
天守台の石垣は野面積みと打込接ぎの併用で、安土城同様に「穴太衆」一族の技術を投入しています。
二の丸下の段、北の丸などは土塁造りではあるものの、二の丸上の段と本丸は折(おれ)を多用した高石垣で囲み、ここから鉄砲を重層的に活用できるようにしていました。
以上の特徴から、慶長期においてはやや古式ながら、織豊政権期の城郭様式を受け継いだ極めて実戦的な城であるといえます。

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交通
JR山陰本線「松江」駅下車。徒歩では約20分。松江市営一畑バス「県庁行き」では約10分「大手前」下車、徒歩約5分

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