【お城】今治城 -Imabari castle-

日本100名城 No.79:今治城

あけびさんによる写真ACからの写真

基本データ

  • 築城年代:1602年(慶長7年)
  • 別名:吹揚城、美須賀城
  • 構造:平城(海城)
  • 築城者:藤堂高虎
  • 主な城主:藤堂氏、松平(久松)氏
  • 所在地:〒794-0036 愛媛県今治市通町 3-1-3
  • 管理団体公式サイト:今治市文化振興課

概要

関ヶ原合戦後の1602年(慶長7年)に藤堂高虎が海城として築いた今治城は、海水を取り入れた水堀を曲輪の周囲に巡らせ、舟入(ふないり)には軍船の出入りを可能としていました。

来島海峡の海上交通における監視基地として中心部の本丸、二の丸と海側には堅固な高石垣が築かれましたが、陸側の防御は土塁を巡らす簡素な構造だったようです。

しかし、城の規模は決して小さなものではなく、二の丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門9棟、櫓20基が立ち並ぶ広大な造りでした。

一説によると本丸に建てられた5層の天守は、破風をもたない日本初の層塔型であったと伝わり、1609年(慶長14年)に高虎が伊勢国津城に加増移封となった際、この時の天守が徳川家康に献上され、丹波亀山城に移築されたと伝わっています。

今治はその後も藤堂氏の飛び地領として存続していましたが、1635年(寛永12年)に藤堂高吉(高虎の養子)が伊賀国名張に移封されると、伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後松平氏の居城として明治維新に至りました。

1869年(明治2年)、廃城令を待たずしてほとんどの建物は破却されました。

わずかに二の丸北隅の武具櫓が収蔵物とともに残されていましたが、2年後に火災で引火した内部の火薬事故で爆発し、四散してしまいました。

なお、現在の天守は1980年(昭和55年)、本丸北隅櫓跡塁上に鉄筋コンクリートで復興されたもので内部は博物館となっており、最上階からは来島海峡や今治市街のパノラマを楽しむことができます。


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交通

JR予讃線「今治」駅からせとうちバス「今治営業所行き」で約9分「今治城前」下車。今治北IC(瀬戸内しまなみ海道)から車で約15分。今治湯ノ浦IC(今治小松自動車道)から車で約20分

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