モノを減らすことを日課にする、という話

どうも、Sydneyです。

2019年の夏あたりから、僕は生活動産の売却・処分をしています。

というのも20代~30代にかけて、僕はアルバイトや派遣社員を渡り歩きながらバンド活動をしてました。

ところが30代も半ばを過ぎ、会社員として働く傍ら、毎週ないし隔週土曜日にスタジオに入り浸る生活を送っていたものの・・・、

徐々に活動ペースの縮小や、音楽に対する情熱も創作意欲も若い頃ほどは無く、気が付いたら部屋には山のような弾かなくなった楽器や使わなくなった機材。

僕は元来ずぼらな性分で、片付けが大変苦手です。

散らかり具合が目に余って来たり、家にお客さんが来たりって時に、ようやく重い腰を上げる感じです。

今にして思うと、この行動様式は昔から変わっていないようで、子供の頃に祖母につけられたあだ名は「さあ無き男」でした。

「さあ」というのは行動を起こす時などに発する語を指すので、読んだままの意味ですね(笑)

要は何かにつけて行動を起こすまでに「時間の掛かる人間」なんですね。

どのくらい酷いかというと、例えば外出する時でも、妻の方が先に準備を済ませてて僕が待たせる、というパターンが多いです。
(女性は身だしなみに相応の時間が必要なので、普通逆ですよねw)

話が逸れましたが。
時は流れ、曲がりなりにも自立して、今の家に引っ越して早4年。
片付けるといっても、書籍や映像ソフト、音楽機材などを然るべき場所へ「収納」する程度で、これまで「モノを減らす」ということを滅多にしてませんでした。

家にモノが増えて来るにつれ、「これが身の丈にあった所有物なのか」と思うようになってきました。

当たり前ですが、モノが増えるということは、そのぶん管理コストが増えるということです。

モノを捨てたり、片付けたりすることが苦手な人にありがちな「いつか使うかもしれない。」
↑ これって思考の放棄ですよね、もうw

ただ、こういう状況を誰かに指摘されたわけでもなく、時間が掛かったとはいえ自ら危機感を抱いて気付けたのは幸運だったかもしれません。

・分相応以上のモノを持たない。
・直近の一定期間で使わなかったモノは棄てる。
・「いつか使うかも」「もったいない」というのは思考放棄の免罪符に過ぎない。

以上を肝に銘じ、生活の最適化を心掛けたいと思います。

それでは。

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