続日本100名城 No.111:向羽黒山城

※Wikipedia(向羽黒山城)からの写真
基本データ
- 築城年代:1561年(永禄4年)
- 別名:岩崎城、巌館(いわたて)
- 構造:山城
- 築城者:蘆名盛氏
- 主な城主:蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
- 所在地:〒969-6133 福島県大沼郡会津美里町字船場
- 管理団体公式サイト:会津美里町
概要
向羽黒山城は、会津の有力大名であった蘆名盛氏の隠居城として1561年(永禄4年)に築城が進められましたが、蘆名家中における後継者の相次ぐ早世により計画は頓挫、1575年(天正3年)に一旦廃城となったようです。
蘆名氏はこの16代当主・盛氏の代に隆盛を極め、百万石の会津太守(あいづたいしゅ)と言われたそうな。盛氏の死から9年後に伊達氏にとって代わるまでは名実ともに「奥州の覇者」であった。
蘆名氏が伊達政宗に1589年(天正17年)の摺上原の戦いで敗れ滅亡した後、 伊達氏、蒲生氏と領主が代わり、1598年(慶長3年)に会津に入った上杉景勝が向羽黒山城を大改修したといわれています。
しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの敗戦によって上杉氏は米沢へ移封となり、向羽黒山城も破却されました。

構造
向羽黒山城は会津盆地の南方、標高約408mの岩崎山に築かれた山城です。
山頂部に一曲輪(いちのくるわ)を置かれ、これがいわゆる本丸にあたり、会津盆地を一望することができます。
尾根伝いに二曲輪、北曲輪な ど多数の曲輪が配置されており、現在残る遺構からも巨大な山城であったことがうかがえます。




交通
JR只見線「会津本郷」駅より徒歩約30分

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書籍
※2020/11/28 更新