続日本100名城 No.131:村上城
天守跡にある舞鶴城趾の石碑 臥牛山 臥牛山山頂と天守跡 石垣 天守跡から見た村上市中心部
基本データ
- 築城年代:16世紀初頭
- 別名:舞鶴城、本庄城
- 構造:平山城
- 築城者:本庄氏
- 主な城主:本庄氏、村上氏、堀氏、本多氏、松平氏、榊原氏、間部氏、内藤氏
- 所在地:〒958-0835 新潟県村上市二之町
- 管理団体公式サイト:村上市
概要
村上城(むらかみじょう)は、かつて新潟県村上市に存在した日本の城(平山城)。別名・舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)。村上市街地東端にそびえる臥牛山(標高135メートル)の頂に築城され、歴代の村上藩主の居城であった。国の史跡に指定されている。
参考:村上城 – Wikipedia
村上城は、室町時代にこの地を支配した越後国人領主・本庄氏が築城したのが始まりとされています。
その後、豊臣秀吉の命で上杉氏の支城期間を経て、1598年(慶長3年)には会津に国替えとなった上杉氏に代わり堀秀治の家臣・村上頼勝が入封し、近世城郭として改修されたようです。
江戸時代以降も堀氏による大規模な改修が行われ、3重の天守が新造、城下町も整備され、今日残る村上城が完成しました。
堀氏の嫡流が絶えたのち、1649年(慶安2年)に姫路から松平直矩が入城。寛文年間に再び大規模な改修が行われました。
この改修では、天守や櫓などが新たに造り直されたようですが、1667年(寛文7年)の落雷により天守等を焼失しました。

その後、村上城は城主が目まぐるしく変わったこともあり、天守が再建されることなく幕末に至りました。
城は山上要害部と山麓居館部に分かれており、江戸時代以降は山麓に御殿・政庁機能が置かれていました。
居館部は山城を背後の守りとして、三方を石垣と堀で囲み三重櫓などで防備を固めていたようです。
天守台のほか、門跡など山上に塁々と残る高石垣は圧巻で、東日本では珍しく石垣造りの近世城郭の遺構をとどめています。




交通
JR羽越本線「村上」駅から徒歩約25分

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書籍
※2020/11/28 更新