続日本100名城 No.165:大和郡山城
追手向櫓と追手門(ともに復元) 天守台石垣 本丸石垣と水堀
基本データ
- 築城年代:1580年(天守)
- 別名:―
- 構造:平山城
- 築城者:筒井順慶
- 主な城主:筒井氏、豊臣家の功t六
- 所在地:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2
- 管理団体公式サイト:
概要
1580年(天正8年)、織田信長は大和一国の検地と新たに築かれる郡山城以外の城郭の破却を命じ、筒井順慶を郡山城主に任じました。
順慶の死後、養子の定次が跡を継ぎましたが、この時期から大坂を囲む畿内一帯を羽柴一門や直臣で固めるべく周辺大名の国替えが行われるようになり、定次は伊賀上野へ転封となりました。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の弟・秀長が入封すると、100万石の大和大納言にふさわしい大城郭に整備されました。
しかし、1591年(天正19年)秀長が、跡を継いだ養子・秀保も1595年(文禄4年)に亡くなり、大和・和泉・紀伊にまたがる100万石の大納言家は断絶してしまいます。
その後、豊臣政権五奉行の一人・増田長盛が22万3千石で入封し、城下町の整備に努めましたが、関ヶ原の戦い後、長盛は高野山に配流となりました。
江戸期に入ると、いくつかの徳川譜代大名家などを経て、1724年(享保9年)に入封した柳澤氏が6代続き、明治維新に至りました。

丘陵の南端付近に立地し、高石垣や天守、多門櫓などを備え、本丸周囲を二の丸が取り巻き、三の丸が東西に配置されています。
また、石垣に「さかさ地蔵」といった石仏が随所に転用されているあたりは、福知山城(京都府)と並び、多数の転用石を用いて築かれた代表的な石垣の遺構といえるでしょう。




交通
〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2

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書籍
※2020/11/28 更新