続日本100名城 No.172:三原城

基本データ
- 築城年代:1567年(永禄10年)
- 別名:浮城、玉壺城
- 構造:平城(海城)
- 築城者:小早川隆景
- 主な城主:小早川氏、福島氏、浅野氏
- 所在地:〒723-0014 広島県三原市城町1
- 管理団体公式サイト:三原市
概要
三原城は、1567年(永禄10年)頃に毛利一門の小早川隆景が築いた水軍の要害が前身とされています。
1577年(天正5年)には織田信長の中国攻めを受けて、毛利輝元が本陣を置きました。
その後、豊臣政権下において隆景は筑前へ移されましたが、1595年(文禄4年)に養子・秀秋に家督を譲ると、三原に戻り城と城下町を整備しました。

構造
河口の三角州を削平し、周辺を埋め立てて築かれた平城で、本丸と二之丸を中心に、東側に三之丸、東西に出丸に相当す る築出(つきだし)を配置しています。
曲輪は海水を利用した水堀で囲み、船入(ふないり)を設置するなど、典型的な海城であったようです。
現在は鉄道により往時の遺構は損なわれましたが、日本最大級の壮大な天主台が残っています。
三原城の天守台石垣は「天主台」という表記が使われていて、これは江戸城天守台とほぼ同規模と言われています。
一説によると、この天主台上には鞆城(ともじょう)から移築された3層天守があったとも言われていますが、確かなことはわかっていません。
絵図から確認できるのは、3基の二重櫓が建てられ、それぞれが多聞櫓で連結されており、一つの曲輪を形成していたようです。


交通
JR山陽本線「三原」駅すぐ

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書籍
※2020/11/28 更新