続日本100名城 No.122:大多喜城

基本データ
- 築城年代:16世紀前半
- 別名:小田喜城
- 構造:平山城
- 築城者:真里谷(武田)信清
- 主な城主:本多氏、松平氏
- 所在地:〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
- 管理団体公式サイト:千葉県立中央博物館 大多喜城分館
概要
大多喜城はもともと室町時代末期に真里谷(武田)信清が築いた小田喜城が始まりです。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原平定後、本多忠勝が小田喜城の跡地を整備して「大多喜城」を築いたとされています。
1609年(慶長14年)に難破したスペイン船のドン・ロド リゴ一行が大多喜城下で保護された際、大多喜城が壮麗であったことがロドリゴの 『日本見聞録』に記されています。

構造
南方の夷隅川を天然の外堀として、川に面した段丘部分を利用した平山城です。
半島状の台地に本丸、二の丸、三の丸が連郭式に配置され、各曲輪間を空堀で区画して、三の丸の東と南は水堀が大きく囲まれていました。
なお、本丸跡には現在三重の復興天守が建っていますが、実際に天守建築があったかどうかは分かっていません。




交通
いずみ鉄道「大多喜」駅から徒歩約15分

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書籍
※2020/11/28 更新