続日本100名城 No.164:洲本城



基本データ
- 築城年代:1510年(永正7年)または1526年(大永6年)
- 別名:三熊城
- 構造:平山城(山城・平城)
- 築城者:安宅氏
- 主な城主:脇坂氏
- 所在地:〒656-0023 兵庫県洲本市小路谷1272
- 管理団体公式サイト:洲本城WEBガイド
概要
洲本城は、淡路水軍を率いた安宅(あたぎ)氏によって三熊山に築かれたの始まりとされています。
安宅氏は三好長慶の弟・冬康を養子に迎えましたが、 冬康亡き後に織田信長に降伏しました。
その後、城主となった脇坂氏が総石垣の堅城に改修しました。
やがて淡路は池田輝政に与えられましたが、輝政は子の忠雄を岩屋城、次いで由良城に入城させ、洲本城を廃城としました。

大坂の陣後、阿波徳島藩の蜂須賀至鎮が淡路を拝領すると、1631年(寛永8年)から4年がかりで洲本に城と町を移しました。
この移転事業は城下町ごと移転する大掛かりなもので俗に「由良引け」といわれ、それまでの洲本城も新時代の統治に向けて麓に平城が築かれました。
こうして、脇坂氏時代までの山城と蜂須賀氏時代の平城で構成された洲本城が完成しました。
洲本城の最大の特徴として、三熊山山頂の「上の城」と山麓北の御殿のある「下の城」を東西二条の「登り石垣」で繋ぎ、防御力を高めている点が挙げられます。
特に登り石垣は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島南部に前線基地として多数築かれた「倭城」の防御力強化のために採用された石垣普請の手法で、脇坂氏時代にこの手法が応用されているようです。




交通
JR神戸線「三ノ宮」駅から淡路島行き高速バスで約1時間30分「洲本高速バスセンター」下車徒歩約40分

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書籍
※2020/11/28 更新