続日本100名城 No.128:要害山城



基本データ
- 築城年代:1520年(永正17年)
- 別名:要害城、積翠山(せきすいさん)城
- 構造:山城
- 築城者:武田信虎
- 主な城主:駒井氏
- 所在地:〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町
- 管理団体公式サイト:甲府市
概要
要害山城(ようがいやまじょう・ようがいざんじょう・ようがいさんじょう)は、1519年(永正16年)、甲斐の守護であった武田信虎(武田信玄の父)が、石和の川田館から甲府の躑躅ヶ崎館に居館を移転し、その詰めの城として翌年築いた山城で、武田信玄生誕の城としても知られています。
『甲陽軍鑑』や『甲斐国志』によると武田氏時代は譜代家老衆の駒井氏が城代を務めていたようです。
武田氏滅亡後、天正壬午の乱を経て、甲斐は一時徳川家康の支配下に入りますが、家康が豊臣秀吉の命で関東へ国替えになると、関東と国境を接する甲斐には徳川の抑えとして加藤光泰が24万石で入封し、甲府城を新築するとともに、要害山城も石垣を増築するなどして拡充に努めています。
関ヶ原の戦い後、甲斐国が再び徳川氏の支配下となると、要害山城は廃城となりました。

構造
要害山城は要害山西側の麓にある登山口から頂上の主郭部分に至るまで尾根伝いに各曲輪が東西一直線に連なる連格式の山城で、各曲輪を分断する堀切や枡形、土塁、石塁で防衛していました。
また、谷を隔てた向かい側には「熊城」という、同じく尾根伝いに削平した曲輪を構成する連格式の山城跡が残っており、中世豪族の貴重な山城遺構として現代に伝えています。
2020年(令和2年)現在、要害山城は築城からちょうど500年を迎えました!




交通
JR中央本線「甲府」駅から山梨交通バスで約20分「積翠寺」下車徒歩約15分(登城口まで)

周辺の気になるグルメスポット
要害山城は躑躅ヶ崎館の詰めの城ということもあって、できれば2箇所セットで訪問したいところ。
武田神社周辺で一服して、余力があれば行ってみよう。
甘味処 茉虞乃莉庵(まぐのりあん)
蕎麦・カフェ 由布姫
Pied nu ピエヌ

書籍
※2020/11/28 更新