続日本100名城 No.178:能島城

毎日新聞2017年12月31日 地方版
基本データ
- 築城年代:14世紀中頃以降
- 別名:-
- 構造:海城
- 築城者:不明
- 主な城主:村上氏
- 所在地:〒794-2203 愛媛県今治市宮窪町能島
- 管理団体公式サイト:日本遺産 村上海賊
概要
能島城は、瀬戸内海のほぼ中央に密集する芸予諸島・伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する能島と隣接する属島の鯛崎島で構成された海城です。
築城時期は、発掘調査の結果から14世紀中頃以降と伝わっています。
能島城を本拠とした能島村上氏は、世にいう「村上水軍」を率いた海賊の一族で、三家あった村上水軍の主筋として知られています。
氏族 | 因島村上氏 | 能島村上氏 | 来島村上氏 |
本拠地 | 因島(長崎城・青木城) 向島(余崎城) | 能島(能島城) | 来島(来島城) |
主な武将 | 村上吉充 村上亮康 村上尚末 | 村上武吉 村上元吉 村上景親 | 村上通康 来島通総 得居通幸 来島長親 |
「海賊」というと輸送船の貨物や財宝を求めて略奪行為を行う倭寇や中世ヨーロッパのヴァイキングを想像しますが、中世日本における瀬戸内海の村上氏や志摩半島の九鬼氏は「海賊衆」と言われる、いわゆる「海の豪族」です。
近隣の陸で起こっている大名同志の争いに加担し、敵方の攻撃・略奪を請け負うこともありましたが、基本的には身分を問わず支配海域を通行する人々から帆別銭、警固料(通行税)を徴収することで生計を立てていて、平時には交易や漁業にも従事していました。
金銭を徴収し、海の関所と護衛を兼ねて、人々の船旅の安全を守る中世日本の海賊衆でしたが、1588年(天正16年)の豊臣秀吉による「海賊停止令」により、彼らは海上の利権を失い、大名家の水軍として取り込まれて行きました。
1587年(天正15年)、小早川隆景の筑前移封によって、能島村上氏はこれに付き従い能島城は廃城となりました。

構造
能島城は周囲720mの小島で、最大10ノット(時速約18km)の潮流が渦巻く瀬戸内海の難所を天然の外堀とし、島の最高所から本丸、二の丸、三の丸と階段状に削平した階郭式の縄張りで構成されています。
また、東端には矢櫃(やびつ)、南西下段に船着場、北下段には船溜(ふなだまり)といった曲輪を配置し、鯛崎島には出丸が設けられるなど、まさに島全体を要塞化したその姿には、かの宣教師・ルイス・フロイスをして「日本最大の海城」と言わしめたほどでした。


交通
- 今治市村上水軍博物館
JR予讃線「今治」駅から急行・特急バス大三島線「石文化運動公園」下車、島内路線バス「村上水軍博物館」下車徒歩約1分 - 能島城跡
宮窪港から船で5分(通常渡船なし。4月上旬にある桜祭りの2日間渡船あり。)
能島上陸は潮流クルーズの事前予約フォームでも可能そうです。
詳しくはこちら↓
【能島上陸&潮流クルーズ】仮予約フォーム

周辺の気になるグルメスポット
城跡となる能島一帯は小さな無人島なので、対岸の本島にあたる大島の宮窪地域を散策してみたい。
おしゃれなカフェや、瀬戸内の海の幸が堪能できるお店が結構あるようです。
石のカフェ
みやくぼ しまのダイニング
能島水軍



書籍
※2020/11/28 更新