【お城】福知山城 -Fukuchiyama castle-

続日本100名城 No.158:福知山城

福知山城大天守
福知山城小天守
天守台石垣の転用石
銅門脇番所
あけびさんによる写真ACからの写真

基本データ

  • 築城年代:1579年(天正7年)頃
  • 別名:横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城
  • 構造:平山城
  • 築城者:明智光秀 [Akechi-Mitsuhide]
  • 主な城主:明智氏、有馬氏、岡部氏、稲葉氏、松平(深溝)氏、朽木氏
  • 所在地:〒620-0035 京都府福知山市字内記1
  • 管理団体公式サイト:福知山市

概要

もともとは丹波の土豪であった横山氏が築いた横山城が前身とされています。

1579年(天正7年)、織田信長の命で丹波を平定した明智光秀は、この地を「福智山」と定め、横山城を近世城郭へと大改修し、名も「福智山城」と改めました。

昭和期に再建された復元天守は、この時期に創建された外観を忠実に再現しているようで、複雑に屋根が入り組む不整形な様式は、どこか安土城岡山城を彷彿とさせるものがあり、まさに織豊期の城といった感じです。

1582年(天正10年)6月、本能寺の変を経て、明智光秀が羽柴秀吉に討たれた後は、羽柴秀勝、杉原家次、小野木重勝と秀吉直臣大名が入れ替わりました。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い戦後論功行賞で有馬豊氏が6万石(のち8万石)で入城し、今日遺る福知山城が完成したようです。

しかし、豊氏は1620年(元和6年)に筑後久留米21万石に加増転封となり、その後も岡部氏、稲葉氏、松平氏と替わりましたが、1669年(寛文9年)に朽木稙昌が3万2000石で入封すると、以後朽木氏13代の居城として明治維新に至りました。

随所に遺る転用石

1873年(明治6年)の廃城令によって建造物や堀、石垣など多くの遺構が失われましたが、天守台と本丸のわずかな石垣は遺され、その石垣から「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」といった往時の技法をうかがい知ることができます。

特に、宝篋印塔や五輪塔を石材として再利用した「転用石」が多く見られる点が福知山城の大きな特徴として注目されており、撤去された石垣跡地からも相当数の転用石が出土しています。

これらは、明智光秀時代に築城に際して旧横山城に関係する周辺の寺院を破却して石垣の部材として転用したのではないかという伝承が残っています。

交通

JR福知山線「福知山」駅から徒歩約15分

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