【お城】竹田城 -Takeda castle-

日本100名城 No.56:竹田城

竹田城石垣と雲海
Slowriderさんによる写真ACからの写真

基本データ

  • 築城年代:1441年~44年(嘉吉年間)、1585年~1600年(天正13年~慶長5年)
  • 別名:虎臥城 [Torafusu-jō/Koga-jō]
  • 構造:山城
  • 築城者:山名宗全 [Yamana-Sōzen]、赤松広秀 [Akamatsu-Hirohide]
  • 主な城主:太田垣氏、桑山氏、赤松氏
  • 所在地:〒669-5252 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地
  • 管理団体公式サイト:朝来市役所産業振興部観光交流課「竹田城跡」

概要

縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。国の史跡に指定されている。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」とも呼ばれる。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。

東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。

参考:竹田城 – Wikipedia

築城時期ははっきりしておらず、15世紀前半の嘉吉年間に山名持豊(宗全)がこの地に「安井ノ城」を築き、山名四天王の一人、太田垣氏に城主として任命されたのが始まりとされています。

この嘉吉年間という時期は、室町幕府6代将軍足利義教が赤松満祐に暗殺される事件(嘉吉の乱)が発生した背景もあり、但馬守護・山名氏と播磨守護・赤松氏の間で度々軍事的な衝突が発生していました。

但馬・播磨両国の境界に位置する竹田城がこれほどの要害であった理由は、まさに対赤松領と国境を接する前線基地であったためと思われます。

その後「応仁の乱」を経て、宗全死後も山名氏は赤松氏との抗争を続けながら竹田城を守っていましたが、中国攻めを進める織田氏に抗することはできず、1580年(天正8年)、羽柴秀長(秀吉の弟)を先鋒とした但馬攻めにより降伏し、山名氏は滅亡しました。

竹田城は、赤松政秀の子・斎村政広(赤松広秀)に与えられ、現在遺る総石垣の山城はこの時期に完成したといわれています。

斎村政広は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて西軍から東軍に寝返り、鳥取城攻めに加わりましたが、城下町を不当に放火した咎で切腹を命じられました。

竹田城は一時山名豊国が預かりましたが、徳川氏の幕藩体制で機能することはなく、程なくして廃城となったようです。


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交通

JR播但線「竹田」駅から徒歩約40~50分

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竹田城跡のある朝来市は、旧但馬国南端に位置する山あいの過疎地だが、観光資源が豊富だからか、都市規模の割に飲食店や宿泊施設が比較的多いので、選択肢には困らないだろう。

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それでは!

書籍

※2020/11/23 更新

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