日本100名城 No.13:白河小峰城




※天守に相当する三重櫓は1991年(平成3年)に、前御門は1994年(平成6年)にそれぞれ木造で復元された。
基本データ
- 築城年代:興国・正平年間(1340年~69年)
- 別名:小峰城 [Komine-jō]
- 構造:平山城
- 築城者:結城親朝 [Yūki-Chikatomo]、丹羽長重 [Niwa-Nagashige]
- 主な城主:白河結城氏 → 丹羽氏 → 松平(榊原)氏 → 本多氏 → 松平(奥平)氏 → 松平(結城)氏 → 松平(久松)氏 → 阿部氏
- 所在地:〒961-0074 福島県白河市郭内
- 管理団体公式サイト:白河観光物産協会
概要
阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられている。周辺は城山公園として整備され、公園内には結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」がある。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、2015年(平成27年)4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった。
参考:白河小峰城 – Wikipedia
白河小峰城の起源は南北朝時代の1340年(興国元年/暦応3年)、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされています。
この結城氏は下総国(栃木県)を拠点にしていた結城氏の庶流で白河結城氏といわれ、長らく陸奥白河地方を治めていましたが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったことを理由に改易となりました(奥州仕置)。
白河の地はその後蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行と、しばらく会津若松領に組み込まれていましたが、1627年(寛永4年)に丹羽長重(丹羽長秀の子)が棚倉5万石から10万石の加増で入城し、国持大名に返り咲きました。

白河は古くから陸奥の玄関口というべき要衝で、築城術に長けた長重は幕府の意向もあり、総石垣の近世城郭に大改修を行い、1632年(寛永9年)に完成しました。
長重の子・光重が1643年(寛永20年)に陸奥国二本松へ転封となって以降は、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と一門・譜代の大名家が頻繁に入れ替わり、幕末に阿部氏が棚倉に移封されると白河は幕府直轄領となりましたが、白河小峰城の管理は二本松藩(丹羽氏)が務めていたようです。




1868年(慶応4年)、二本松藩が戊辰戦争において奥羽越列藩同盟に加わると、白河小峰城も激戦の舞台となり、新政府軍との攻防戦の末、建物のほとんどが失われました(白河口の戦い)。
その後、跡地には巨大な石垣のほか、土塁、水堀、曲輪を遺していましたが、平成期に入ると天守代用の三重櫓や前御門が木造で復元され、白河市のシンボルとして親しまれています。
2011年(平成23年)に発生した東日本大震災による被害で石垣の崩壊に見舞われ、しばらく立入禁止となっていましたが、2019年4月に修復が完了しています。
この三重櫓は、
・層塔式でありながら付櫓を持っている
・初重は櫓台いっぱいに建てられておらず、塀で囲っている
・切妻破風の配置
・二重目に出窓がある
などなど、どこか会津若松城をミニマムにした感じの造りが興味深い。
築城の際に天守のある最寄りの城を…ということで参考にしたのだろうか。
交通
JR東北本線「白河」駅から徒歩約5分

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※2020/11/21 更新