日本100名城 No.2:五稜郭



基本データ
- 築城年代:1857年(安政4年)
- 別名:亀田御役所土塁 [Kameda-on-yakusho-dorui]、柳野城 [Yanagino-jō]
- 構造:平城
- 築城者:江戸幕府
- 主な城主:(函館奉行)
- 所在地:〒040-0001 北海道函館市五稜郭町44
- 管理団体公式サイト:函館市
概要
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により新しく開港され防備の必要となった蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い。
予算書時点から五稜郭の名称は用いられていた。ただし、築造中は亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とも呼ばれた。元は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ。
参考:五稜郭 – Wikipedia
函館開港にともない、徳川幕府は蝦夷地の管理および函館の防衛施設として、国内初となる稜堡式の平城を築きました。
この築城方式は、「星形要塞」ともいわれ、15世紀半ばのイタリアで考案された築城術で、当時脅威となっていた新型火砲を装備したフランス軍との攻防戦を想定した設計で、死角を無くすための形状が取り入れられています。

設計は洋学に明るかった幕臣の武田斐三郎が担当しました。
五つの角に石垣と土塁で固められた主郭を配置、さらにその周囲を取り囲むようにもう一段低い石垣と土塁で固められた低塁を築き、外周には水堀を巡らせています。
大手口には五稜郭で唯一の「半月堡」といわれる三角形の馬出しのような曲輪があります。
当初の構想としては5か所に設置する予定だったようですが、予算の都合で大手口のみにとどまったようです。
五稜郭は1864年(元治元年)に竣工、函館奉行所が置かれ、箱館の街は大いに賑わいを見せ、大政奉還で新政府により函館府が設置されて以降も引き続き函館の政庁として存続しました。
しかし、程なくして榎本釜次郎(武揚)率いる旧幕府軍が上陸し、五稜郭を占拠しました。
旧幕府軍は防御に不十分であった五稜郭の改修を行い、1869年(明治2年)3月に完成させるも、同年5月の箱館総攻撃において各地で新政府軍に敗北し、榎本や大鳥圭介をはじめとした旧幕府軍の降伏をもって、五稜郭は再び新政府軍に引き渡されました。
こうして、1年5ヶ月に渡る戊辰戦争がすべて終了するわけですが・・・、
一時的とはいえ蝦夷に独立国を樹立した榎本武揚や、陸軍奉行であり内政手腕にも秀でた大鳥圭介は、その後赦免され、才覚を買われて明治政府に出仕したけど、京洛で討幕派の志士たちを斬りまくった陸軍奉行並の土方歳三は生き残ってても確実に赦免されなかっただろう。




交通
JR函館本線「函館」駅下車。
路面電車「湯の川行き」では約16分「五稜郭公園前」下車、徒歩約10分。
函館バス「五稜郭方面行き」では約20分「五稜郭公園入口」下車、徒歩約5~10分。

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※2020/11/21 更新