日本100名城 No.34:七尾城



※kazu_m49さんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1504年~28年頃(永正~大永年間)
- 別名:松尾城(末尾城) [Matsuo-jō]
- 構造:山城
- 築城者:能登畠山氏
- 主な城主:能登畠山氏
- 所在地:〒926-0025 石川県七尾市古城町 古屋敷町竹町入会字大塚14番124、15番他
- 管理団体公式サイト:七尾市
概要
七尾湾が一望できる、石動山系の北端の標高300mほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城である。「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。別名として「松尾城」あるいは「末尾城」と記した資料も残る。これは城が七つの尾根のうち松尾に築かれたためである。いずれも尾根づたいに配された曲輪を連想させる。
参考:七尾城 – Wikipedia
七尾城は、能登守護であった畠山氏の居城で、室町時代に初代能登国守護の畠山満慶が山頂に砦を築いたのが始まりとされています。
その後も畠山氏の拠点として戦乱の激化とともに整備・増強は進み、7代守護・義総のとき、現在のような山城となったようです。

戦国時代末期に差し掛かった1576年(天正4年)、能登に侵攻してきた上杉謙信によって攻め落とされ、守護大名としての能登畠山家は滅亡しました。
謙信の死後、織田氏が能登を制圧し、七尾城には前田利家が入城しましたが、山城が政治・経済上の利便性に限界があったため、程なくして小丸山城を築き、拠点を移しました。
利家の小丸山城転居後も、次男・利政が入り、引き続き前田氏の支城として機能していましたが、1589年(天正17年)には廃城となったようです。
上杉謙信は、七尾城から眼下に眺める七尾湾の景色をこよなく愛したといわれている。さぞかし大好きな酒と梅干しがすすんだだろうなぁ(笑)
交通
JR七尾線「七尾」駅から市内巡回バス「まりん号」東回りで約13分「城山の里」下車、本丸まで徒歩約60分

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