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日本100名城 No.32:春日山城




※ゆぅーちゃんさんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1346年~70年頃(正平年間)、1573年~92年頃(天正年間)
- 別名:蜂ヶ峰城 [Hachigamine-jō]
- 構造:山城
- 築城者:初期築城者は不明。長尾為景・晴景・上杉謙信(長尾景虎)・景勝の4代で今日遺る大城郭に整備されたと思われる
- 主な城主:長尾氏 → 上杉氏 → 堀氏
- 所在地:〒943-0819 新潟県上越市大字中屋敷
- 管理団体公式サイト:上越市
概要
春日山城は越後の龍、あるいは軍神と謳われた戦国大名・上杉謙信の居城ですが、城の成り立ちについては詳しいことは分かっていません。
戦国時代に越後の有力守護代であった長尾為景(謙信の実父)が南北朝時代から存在していたと思われる要害に大改修を施し、現在の春日山城の原型を築いたとされています。
1536年(天文5年)、晴景(謙信の兄)が一時家督を引き継ぎましたが、為景死後の1548年(天文17年)長尾景虎(のちの上杉謙信)が晴景から家督を相続し、春日山城に入りました。
晴景さん病弱だったと聞くけど、それでも10年余りも当主務めてたって。。
普通に頑張ってると思いません?

謙信死後の1579年(天正7年)、遺された養子であった上杉景虎(北条氏康の七男)・上杉景勝(長尾政景の実子)の間で家督争い(御館の乱)が勃発し、この戦いを制した景勝が春日山城に入城しました。
景勝はその後、豊臣政権下において会津若松へ加増移封となり、上杉氏に代わり堀秀治が入城しました。
関ヶ原の戦い後、堀氏によって新たに福島城が築かれると、春日山城は政庁としての役割を終え、廃城となりました。
最盛期の春日山城は、春日山全山を要塞化した巨大な山城で、山頂の本丸を守るように山全体に曲輪や家臣団の屋敷(直江屋敷跡など)を配し、土塁や空堀で固めた強固な造りになっていたようです。
本丸跡下には、復元された毘沙門堂や護摩堂跡があり、信仰心に厚かったとされる謙信を偲ばせます。
交通
JR北陸本線「直江津」駅から頸城バス「春日山・佐内線(中央病院行)」で約15分「ものがたり館」下車。
えちごトキめき鉄道「春日山」駅から頸城バス「春日山・佐内線(直江津駅行)」で10分。

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今回は、中世まで越後における政治の中心であった春日山城ということで、城下町であり屈指の港町である直江津地方を紹介したけど、上越の風土を知るには江戸時代以降に立藩した高田藩の城下町かつ、北国街道の宿駅として栄えた高田地方(高田城)をセットで訪れたい。
ちなみに直江津と高田。2021年には対等合併による上越市誕生からちょうど50年を迎えるそうです。
それでは!
※2020/11/21 更新
