日本100名城 No.24:武田氏館


※松波庄九郎さんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1519年(永正16年)
- 別名:躑躅ヶ崎館 [Tsutsujigasaki-yakata]
- 構造:平城
- 築城者:武田信虎 [Takeda-Nobutora]
- 主な城主:武田氏
- 所在地:山梨県甲府市古府中町2611
- 管理団体公式サイト:武田神社
概要
武田氏館は、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館の名で知られる、甲斐の戦国大名武田氏3代の居城で、現在城跡一帯は「武田神社」として曲輪、天守台、土塁、石垣、土橋、堀などの遺構をよく残しています。
1519年(永正16年)、武田信虎は度重なる水害や防御面における理由から、古府中に新たな居館を建て、それまで武田氏の居館であった川田館から移転ました。これが躑躅ヶ崎館です。

信虎築城時の躑躅ヶ崎館は、土塁と堀をめぐらす単郭式の館だったようですが、背後に要害山城を詰の守りとしており、戦国時代の城として有事の備えは充分だったといえます。
また、主郭となる躑躅ヶ崎館もその後晴信(信玄)、勝頼と、代を重ねるごとに曲輪も整備され、武田氏滅亡以降もこの地を治めた徳川家康によって拡張は進み、天守も築かれていたと伝わっています。
1590年(天正18年)、家康の家臣・平岩親吉が甲府城(府中城)を築城すると、躑躅ヶ崎館は甲斐国の主城としての役割を終え、城下町も甲府城を中心に発展し、江戸時代も幕府直轄領として栄えました。
今にして思うと、子どもの頃に見た大河ドラマ「武田信玄」は土塁造りの城の魅力を教えてくれた最初の映像だったかもしれない。
2010年に惜しくも閉館となったが、ロケに使われたオープンセット「風林火山館」(山梨県北杜市長坂町)はその後2007年の大河ドラマ「風林火山」でも使用された。
天守や多層櫓といった華美な派手さのない、まさに中世の領主の城館といった感じだ。
一般的に「日本の城」といわれると、総石垣の上に天守や櫓のある、安土城以降の近世城郭のイメージが未だに強いけど、こういったパブリック・イメージとしての「日本の城(天守のある城)」は、日本の城郭史におけるごく短期間の一過性ブームに過ぎず、大雑把にいうと草分けとして信長の安土城に始まり、慶長年間に隆盛を極め、元和の一国一城令で終息したと思ってる。
交通
JR中央本線「甲府」駅北口より北へ一本道2.2km。バスで約8分「武田神社」下車すぐ

周辺の気になるグルメスポット
- Pied nu ピエヌ (武田神社近くに位置するパン屋さん)
- 小作 (甲府駅前ほか、県内・長野県諏訪市にまで店舗展開している「ほうとう」の名店)
- 黒蜜庵 きなこ亭 (信玄餅がのったスイーツ)
※2020/11/21 更新




