日本100名城 No.49:小谷城


※あけびさんによる写真ACからの写真
基本データ
- 築城年代:1523年(大永3年)頃
- 別名:無
- 構造:山城
- 築城者:浅井亮政 [Azai-Sukemasa]
- 主な城主:浅井氏
- 所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
- 管理団体公式サイト:小谷城戦国歴史資料館
概要
小谷城は、北近江の国人・浅井亮政によって標高約495mの小谷山に築かれた巨大な山城で、その後久政、長政の3代に渡り戦国大名家浅井氏の居城でした。
築城時期ははっきりしておらず、1523年(大永3年)~1524年(大永4年)頃が有力とされています。
城の構造は、いかにも戦国時代の山城といった感じで、小谷山の急峻な稜線上に大広間・本丸・中丸・京極丸・小丸・山王丸が連なる連郭式の縄張りで、山王丸から谷底を下り、再び山道を登ると「大嶽」と呼ばれる独立した郭があり、ここが小谷山の頂上にあたります。
大嶽は「大嶽城」ともいわれ、実質的には小谷城の支城的な機能をもっており、浅井亮政築城当初の小谷城ではないかとする説もあります。

戦国時代を代表する堅固な山城として名高い小谷城でしたが、金ヶ崎の戦いを契機に同盟破棄以降、敵対関係にあった織田信長により1573年(天正元年)の小谷城の戦いにおいて攻防戦の末落城し、久政・長政父子は自刃、浅井家は滅亡しました。
なお、この戦いで戦功をあげた羽柴秀吉は浅井氏の旧領・湖北12万石を拝領し、いったんは小谷城に入城しましたが、山城という立地条件の不便があったため、程なくして今浜の地に新たに長浜城を築き小谷城は廃城となりました。また、城下町の地名も現在残る「長浜」に改められ、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展しました。
それにしても、ゲームにドラマに時代劇、漫画…。
昨今の浅井長政公のイケメン化に歯止めがかからないのは何故だ。




交通
JR北陸本線「河毛」駅下車。徒歩では約30分。バスではこはくちょうバス「小谷山線」で約20分。「小谷城址」下車、本丸まで徒歩約40分。熊出没注意🐻

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書籍
※2020/11/23 更新